みんな、それぞれのチャレンジをしている
いつもお読みくださり、ありがとうございます。
Trinity Works(トリニティワークス) スポーツメンタルコーチの赤石祐加です。
先日、娘の中学の卒業式が行われ、無事に中学3年間を修了することが出来ました。
中学での3年間って、やっぱりかなり大人に近づく領域での成長があって、なんというか、「グイッと」こっち側に来たな・・っていう感覚があります。
コロナコロナって言われてばっかりの3年間だったと思うんですけど、それでも、思い出は全部「ある」だけ。確かに、経験したことがたくさんあって、かわいそう、とか、奪われた、とか、そういう風には私は感じません。
やっぱり、「あるものしか、ない」。
これからも、そう。
あることだけが、積み重なっていきます。
その卒業式の数日前、運転していた時に、ある車椅子の女の子が歩道のちょっとした坂に苦戦しているのが見えました。
娘の同級生の子で、車道と歩道の境界線、通常歩いているくらいなら全く気にならないほどの「傾斜角度」の辺りで、困っているように見えたんです。
多分、ちょっと押してあげたらすぐに済むと思うけど・・・そう思いながらも、その子を横目に、私そのまま通過してしまったんです。
卒業式の後、卒業文集に目を通していたときのこと。
その、車椅子の女の子の文が目に留まりました。
そこには、小学生の頃の体育は「まあいいか、どうせ出来ないし」と見ているだけだったそう。
出来なくて当たり前、別にみんなと一緒じゃなくても気にならなかった、と書いてあります。
だけど、担任の先生の「やってみようよ」の一言で、いろいろなことに挑戦してみよう、と思うようになった、と。
最初に体育で「倒立」にチャレンジしたそうで、その感想が「今まで、逆さまになることがなかったので新鮮でした」と書いてあって、そっか、そうだよな、そういう感覚なんだ!
それから、前転。怖いけれど、それよりも「やってみたい」という気持ちの方が強くて、自分自身で、「可能性は無限大だ」ということを実感したと書いてありました☺️
彼女は、体育大会も車椅子での100m走にチャレンジしていて、やってみて初めて感じること、練習すればタイムが上がること、みんなの応援で頑張れたこと、自分にも出来るという自信と達成感を味わえたこと、などを綴ってくれていて。
そして私がびっくりしたのは、2年生の頃から、自力登下校を始めたということ。
そうか・・・私が「困っているように見えた」あの時は「チャレンジしている」時だったんだ。
自転車で登校すれば、多分10分やそこらで到着する距離だろうと思います。
私が勝手に「大変そうだな」「困ってるんじゃないかな」という捉え方をしてしまっていたけど、彼女はまさに、チャレンジ真っ最中だったんだ。
チャレンジすればするほど課題も出来ました、とも書いてあって、その「課題」って、もしかしたら成長だったり頑張ることへの原動力だったりするよね。
そして、その文集にサラリと書いてあった言葉に、私もとっても刺激をもらえました!
「なんでも、やってみたら出来ました」
なんてシンプルで、真理であり、これを超える説得力はないだろうと思わせる言葉です。
文集を読み進めていたら、特別支援学級の先生からの文があり、彼女の名前を挙げて、彼女はこの先生と「冒険しよう」という誓いを立てていたそうです。
そしてそれを現実にして見せてくれて、思い描いていたよりはるかに逞しく成長した姿に本当に嬉しかったという言葉が添えてありました。
もし彼女が「まあいいや、どうせ出来ないし」という在り方でこの先を過ごしていたとしたら?
もし「別に、何も出来なくてもいいや」という在り方で、生きていこうとしていたら?
自分自身に対するその「在り方」の心に、願いのタネを植えたとしても土壌の部分が「どうせ出来ない、どうせ無理」というエネルギーを吸い取った芽が、花が、根が育つことになるんだと思う。
彼女のように、先生の一言に触発されて「やってみようかな」という自分に対する可能性を少しでも信じられたからこそ「やってみたら、出来た!」という自信を収穫できた。
そして、それを支えてくれる人の存在、信じてくれる誰かのためにも、頑張ろうと思える心。
そういう在り方でこれからも、「可能性」という土壌にタネをまいて、たくさんの収穫をしていけるんだろうなと、その学びに心から感謝したいと思います🧡
体現こそ、最大の説得力。
本当に、素晴らしい教えをもらいました。
ありがとう。
そして、卒業おめでとう!
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