良い組織・良いコミュニティ、チームは歯車(ギア)で回す
いつもお読みくださり、ありがとうございます。
Trinity Works(トリニティワークス) スポーツメンタルコーチの赤石祐加です。
時代ももちろんそうですが、社会って常に変化していますよね。
その変化を受け入れる柔軟性って、自分の性格とかこだわりとかに関係なく必須だと思ってますが、それを体現していく時に「常に“自分の常識”を疑う」視点って大事だなと思います。
自分が「常識」だと認識していることって、基本的には、自分が過ごしてきたこれまでの中で周りの人の言動だったり、組織や所属する対象から得てきたものだったり、あとはその時の風潮とか、そこから自分が感じて、順応してきたことの結果だと思ってるんですが。
その時は「は?」と思うことでも、基本的に、順応してる方がラクではありますよね。
周囲と迎合して忖度してれば波風は立たないことがほとんどなんで、その度に、環境が変わって属する場所が変わって、またそこで順応するという習慣というか。
「それっておかしいでしょ」と感じると疲れちゃうんで、そのセンサーを自分で切っちゃってそこにだけ存在する「常識」も自分の中に採用しちゃうって感じでしょうか。
日本の企業やチームの組織って多くがまだ、ピラミッド型のヒエラルキーによって形成、支配されているのではないでしょうか。
(相変わらず大活躍のフリー素材の面々ですねありがとうございます笑)
この組織の枠組みが崩壊していくのも時間の問題でしょうし、さっさと辞めればいいのにと思うんですが・・・
一石投じることにより生じる結果の回収もかなりパワーが必要ですよね。
トップ層がいくら優秀でも、中間エリアにいる人材がそこで流れを止めるとか変えるとかの可能性も大なので、「誰が責任を取るかゲーム」に傾きやすいのもこの組織。
本来の目的が分からなくなって、組織の意味すら見失いやすくなりますね。
私は切り口がスポーツになりますけど、チーム作りも全く同義だと思ってます。
むしろ、スポーツの世界から変えていくほうが簡単というか、企業よりは規模もかなり小さいので、さっさと移行しやすいというか。
目的とか、目標を達成するために構成されるシステムを「組織」と定義するならば、自分の才能やスキル、能力をどう貢献させるか、っていう視点でチームに反映するのが一番シンプルなはずなんですよね。
そこに、「権力」だの「肩書き」だの(まだあるのかよと言いたいが)「年功序列」だの「男女格差」「学歴」だのあらゆるものが妨害となって、目的を達成することを自分たちで阻んでいるという、目に見えない障害もあるんじゃないかと思っています。
良いチーム、良いコミュニティであればあるほど、そういう「外側の肩書き」を取っ払ってひとりひとりが目的を遂行するための歯車になるというか、そのために自身の才能やスキル、思い、思考、感性(その人に備わっている全て)に磨きをかけて、出来ないことはできる人に存分に頼って、出来ないものを出来るようになる「必要のない努力」に工数を費やすのではなくて、既存の人財を生かすという方が随分といいと思うんですけどね。
どうせそういう時代になっていくのは必須なのに、抵抗したい存在がいるのも事実ですけど。
得意なこと、出来ること、興味あること、夢中になれること、没頭出来ること、好きなこと。
これらを自覚しておくことは、めっちゃめちゃ重要な要素で、そういう自分のスポーツとしての能力を歯車(ギア)として俯瞰しておくこと。
スポーツも一緒です。すでに保有している能力(目に見えるもの、見えないものどちらも)を自覚し磨き上げること。
あとは、そのギアをどこで使うのがベストなのか、選ぶだけなんで簡単だと思うんです。
チームの受け皿はまだどちらかというと、監督やヘッドコーチが「どう使いたいか」にフィットしなければ前に出ていけないケースも多いかもしれないですけど、そういう環境作りも、スポーツメンタルに携わる一員としては、必要かなと感じています。
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