「できない」じゃなくて、「やり方を知らない」だけかも知れない
いつもお読みくださり、ありがとうございます。
Trinity Works(トリニティワークス) スポーツメンタルコーチの赤石祐加です。
私たちって、「自分」しか経験したことがない訳なので、自分以外の人の「感覚」を実際に体感することは出来ないですよね。
人の数だけ、答えややり方は存在すると考えると、教えたりとか、教わったりとかする時にその両者のピタリ「わかりやすい」とそれがマッチするっていうことって、確率としては意外と高くないのかもしれません。
スポーツにしろ、仕事にしろ、なんでもそうかもしれないですが、「その人の簡単なやり方」とか「その仕事ならではの工夫」というものが必ずしも「自分」または「他の人」にも簡単だ!と受け止めてもらえるかはわからないし、わからないからといって、「難し過ぎて私には出来ない」と、能力の開花を抑制するのもちょっともったいないかなーと思います。
過去(子どもの頃とか若い時代)に、そういった経験をしたとします。
「こんなことも出来ないの?」と言われたりとか、「●●ちゃんは簡単に出来るのに」って耳にしてしまったとか。
そんな風に、教え方がちょっと意地悪な人って時々いますよね。
自分が出来なかった時代のことをすっかり忘れてしまってる場合が多かったり、たまたま自分がそれは簡単に出来ちゃったことだったりして。
だからと言って、「出来るようになりたい」気持ちを、折られたと感じないでいただきたいです。
出来るようなるのには時間や経験値を要するというだけの話で、基本的に、「出来るようになりたい」という思いがベースにある場合は、出来るようになります。
なのに、教える側が意地悪だったり、教え方に愛情がなかったりすると(この場合の愛情がないというのは、「教えたんだからすぐ出来るでしょ」という考え方の人ですね)、出来ない自分を責めてしまったり、勝手に諦めてしまったりしちゃうようになります。
「自分には出来ない」と自分で自分を決めつけているので、それ相応の結果を受け取るな行動をとってしまうんです。
「教えてくれる人」というのは、探せばいくらでもいますし、現代なんて動画だけで学んで鮨職人になった人だっているぐらいです笑😊
自分に合った「やり方」は、感覚的に自分で掴むしかありませんが、スポーツでも仕事でも、勉強でも、自分が「できる様になりたい」と思うことは、「そんな方法があったんだ!」というしっくりくる瞬間には必ず出会えますし、そんな時に大切なメンタルは、「出来ない言い訳を並べる」努力をさっさと辞めて「出来る言い訳を見つける」努力をする自分になるということじゃないでしょうか。
もし、過去にそんな風に誰かに言われたことで「出来ない」と思っていることがあったなら、今の自分で、それに再挑戦してみたり、視点を変えてトライしてみたりして過去に閉ざしてしまった「才能の可能性」を、自分で開いてみるのをオススメします!
たかがそんなこと、と思われるかもしれませんが、1つ開いた場所から、そこを起点にさらにその向こうに無限の可能性が広がっています。
2023年に向けて、新しい自分の世界を見てみたい方は、その下準備を今からしておくのがいいですね!
コメントをどうぞ