子どもを自分の自己実現の道具にしない
いつもお読みくださり、ありがとうございます。
Trinity Works(トリニティワークス) スポーツメンタルコーチの赤石祐加です。
今日は仕事をお休みして、大学時代の友人と京都に行ってきました☺️
秋の京都、本当に美しいですね!
観光客や修学旅行生も多くて、どこも賑わっていました。
八坂の塔ってカッコイイですよね〜!
どのアングルから見てもとっても素敵でした。
さて、今月から息子の硬式野球のチーム決めに伴って、体験会への参加が続いています。
私の周りにも、「息子をプロ野球選手にしたい」とか、「プロアスリートになって有名になってほしい」という親御さんがいらっしゃいます。
●●になって欲しい、という親の期待って、本人の意思が伴っているかどうか?
ただのエゴイストになっていないか?
自問自答して欲しいなと思います。
特に、少年野球の現場に非常に詳しい私の知り合いの方も、このように仰ってました。
「途中で野球を辞めたとか、志半ばで夢を断念してしまったようなお父さんに限って、その実現できなかった夢を我が子に託すんですよね。
それに耐えられなくなった子どもさんは、やっぱり挫折してしまう傾向にある。
逆に、何にもスポーツに取り組んでこなかった親御さんの方が、親子で楽しんでいますね」
親自身が、子どものドリームキラーになってませんか?
子どもって、少なからず「親の期待に応えようとして頑張ってしまう」ところがあると思うんです。
それが続いてしまうと、「やってやろう!」っていう、内側から自然に湧き上がってくるエネルギーが枯渇してくるんですよね。
こちらから見ているプロの世界は華やかで輝いているように見えます。
しかし、どんな職業でも、「美しいものだけ、華やかなものだけ、イイことだけ」というのは絶対にありえません。
有名になれば、プレーに対する誹謗中傷や批判、評価、そういう自分とのストレス、そういったものも受け止めていかなければなりません。
また、プロ野球選手になりたい人は次から次へとやってきます。
毎年、毎シーズン、自分のレギュラーとしてのポジション争いや結果に対する責任、体調管理、等々、「プロになったからもうOK」ではない世界が始まるわけです。
兄もそうでしたが、結果が出なければ、使われないのは当然ですし、怪我をしたら自分以外の選手にチャンスは巡っていきます。
野球選手は自分自身が「商品」なわけなので、いかにその「商品である自分」の価値を見せ続けていくか、その努力は、これまで以上にハードでタフになってくると思います。
自分で決意した意思が伴わなければ、到底向き合っていけるものではありません。
イイことも、辛いことも、しんどいことも、名誉なことも・・・
このプロという世界で体験できることは、全てが自分の糧になる。
それすら喜びなのだ、という心の器を育てていく必要があると思うんですよね。
そして何より私が大切だと思うのは、セカンドキャリアに対する意識。
これは非常に重要です。
プロの世界を後にする時、「野球以外、何も取り柄がない」という状態は回避すること。
日本は本当にこの辺の意識は低いし、遅れています。
スポーツだけやっておけば安泰みたいな時代はもうとっくに終焉しているので、特に「上手い選手」であればあるほど、意識した方が良いと思いますね。
親御さんがここまで考えていらっしゃるかわかりませんが、もしかして自分の中に「自分の息子がプロ野球選手だと言える優越感」を味わいたい、というような無意識のやましい気持ちがあるなら、それは即刻手放すべきだと思います。
自分の夢は、自分で叶える以外ありません。
子どもの夢は、思い描くのも叶えるのも、子ども自身でしかありません。
何が起点となって「プロ野球選手になりたい」と思っているのか。
その夢は、本当に子ども自身が憧れて描いたものなのか?
親が描いたキャンパスを見せて、「こんな風になってね」って、自分だったら嫌じゃないですか?笑
スポーツにしろなんにしろ、子どもの存在は、大人の自己実現の道具ではありません。
共に、幾つになってもお互いの夢を描き、互いに応援し合って、それぞれがお互いの世界観を広げてくれる方が、楽しいと思うんです。
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