見守る、ことがこんなに難しいこととは
いつもお読みくださり、ありがとうございます。
Trinity Works(トリニティワークス) スポーツメンタルコーチの赤石祐加です。
先日、息子の中学進級に伴う、硬式野球のチームの体験会に参加してきました。
本当にいいお天気で、当日は20名ほどの各チームの6年生が集まり、アップ・キャッチボール・バッティングなど練習に混ぜていただきました。
体感するって本当に大事で、特にこういう、目の前に複数の選択肢が広がっている場合、どれを選んでも、正解のような間違いのような、なんとも言えない心境になりがちです。
だからこそ、そこを歩いていく本人が「どんな風に感じたか?」っていうのが1つの基準になりますよね。
そこって、親子といえども、感じた事はその子にしかわからないので、心に湧き上がったものを、大切にして欲しいなと思います。
これは私自身にも言える事で、子育てをする中で、体現することが難しいことの一つですが・・・
「見守る」って、こんなに高いスキルが必要なのか!とつくづく思いますね。
特に、自分と似たような競技や興味のあるものを選んだ場合に、知っていることや気をつけたほうがいいことを、あれやこれやと一方的にぶつけるように伝えること。
確かに、いろんな「愛情表現」があるので仕方のないこともありますが、「見守る愛」って、本当ーーに、スキルが必要ですね笑
ちょっと話が大きくなりますが、私たちが「生まれてきた目的」みたいなものって、この「自分」という肉体を使って、たくさんのことを経験する、体感する、ということが最大のテーマだと個人的には思ってるんです。
だからこそ、「経験するチャンス、体感するチャンス」をその直前で、(本人が望んでいるにも関わらず、という前提ですが)「やめたほうがいいんじゃない?」「無理だと思うよ」という意見を伝えるのは、大切な瞬間を奪ってしまうのではないかな?と思うんですよね。
みなさまご存知、相対性理論で有名なアインシュタインも、娘さんに宛てた手紙の中で語っています。
「愛こそが、この宇宙に存在する最大のエネルギー(力)であるという結論に至った」と。
(ただし残念ながら、このアインシュタインの手紙が本人のものではない可能性も指摘されていて真実を確かめる事は出来ませんが・・・)
アインシュタインが言ったなら「本当」か。
それ以外の人が言ったなら「そうじゃない」か?じゃなくて。
「愛」というと、ちょっとこっぱずかしいというか、そういう感覚もありますが
「やってみな。あなたなら、それを乗り越えられるよ。大丈夫だよ。やってみな。」
っていう思いは、信頼という愛情がベースになっていると感じます。
そういう心の土台から放ったものは、そのまま、相手に伝わると思うんです。
だから、あたたかいその気持ちを、あたたかいと受け取ってくれる。
逆に、「あんたにできる訳ない。無理だよ。やめたほうがいいよ」っていう状態の心から放った思いって、なんかやっぱり冷たい。
実際に温度がある訳じゃないけれど、冷たいと感じる。
冷たいものって、ずっと持ってらんないですよね。
だから私も、そういう「あたたかいもの」を放つ人間でありたいな、と思います。
自分で自分のそういう心を育てることや、そういう視点を持てるようになること。
それもまた日々の練習、トレーニング、お稽古、(呼び方はなんでもいいのですが)積み重ねだと思います。
その積み重ねで、手に入れることの出来るものだと。
それが、自分のスキルになっていくのではないかな?と思います。
私の場合、それが向かう先はやはり、スポーツの舞台であったり、こどもたちが夢中でスポーツを楽しむ環境作りであったりします。
それを体現する時に、ふさわしい言葉、考え方、伝え方。
そういったものを、私自身もしっかりと身につけて行こう!と心に決めた日でした。
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